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2015年12月

2015.12.01

NHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜」

 Kitarogyokusai1
 © NHK All rights reserved./水木プロ

“参院選後の8月15日”という区切りを控えた8月12日(日)。ゲゲゲの鬼太郎で有名な

水木しげる大先生が描いた戦記萬画「総員玉砕せよ ! 」のドラマ版が放送されました。

鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜sengo62 スタッフブログ〜せんそうとへいわをかんがえ中

昭和47年 夏。萬画家 水木しげるの元に一通の手紙が届く。

銀座にある外食店から送られてきた飲食代の請求書だったが、心当たりが全く無いので

不思議だった。

その後、様々な人から似たような事象を告げられ、いよいよもって気味が悪くなる。

本棚から数冊のスクラップブックが落ちた時は、窓の外の墓石脇に何故か南方特有の

仏桑花(ハイビスカス)が咲いていた。

別人が名を騙って通っているのではないかと思い、鶯谷にある連れ込み宿に行った時は、

一頭の蝶が眼前を舞っていった。

「‥‥分かったよ。描ぁくよ‥‥描ぁけばいいんだろ」

夜の仕事場で一人そう呟いた後、とある日本兵キャラクターを描き始めるのだった‥‥。

本作の内容に関しては、直接本篇を見て、触れて、感じてもらわないと意味が無いので

伏せますが、幾つか参考になる四方山話を挙げる事でレビューに代えたいと思います。

先ずは、当ブログらしく娯楽面での抜粋から。

前述した展開後、一躍人気者となった自分達を放って別の作品に一心不乱に打ち込む

“水木サン”を見て、突如原稿用紙から「出て」くる鬼太郎、目玉オヤジ、ねずみ男の面面。

声は「オッス、オラ○空 !! 」でお馴染みの野沢雅子女史と、「軍から給料は出ませんぞ」の

名台詞を遺した艦長役が真っ先に思い浮かんだ大塚周夫氏が担当しており、某国民的

少年探偵アニメで活躍中の人選で放送中、「ゲゲゲの鬼太郎(シリーズ第5作)」における

イメージに慣れつつある昨今の鬼太郎ファンからすれば、シリーズ第1作目のトリオ復活は

どういう風に感じたのか。私の場合は、思わず口の端が緩みましたw

「けっ、玉砕なんてくだらねぇよッ。何で、なぁんで皆一緒に死ななきゃなんないのッ ?! 」と

泪(なみだ)ながらに叫ぶシーンも含め、久し振りに“演出性に溢れたアニメーション”を

観れました。これが「業」というモノですッ !!

次は、実写版特有の見所であるキャスト陣について。

水木しげる大先生/丸山二等兵の2役を演じた香川照之氏の役者根性も然る事ながら、

布枝夫人役の田畑智子ちゃん、中隊長役の石橋蓮司氏、本田軍曹役の塩見三省氏

などの存在も印象的で、某つゆのCM、悪徳経営者役、某探偵シリーズの署長役での

イメージが強い私には、本篇とは異るツボに入った見所となりました。

ちょっと下世話になりますが、田畑ちゃんに惚れ直したのはここだけの秘密です(笑)。

三つ目は、本ドラマの根幹であったラバウル戦での出来事の「現実のその後」について。

私は事前に「生まれたときから『妖怪』だった」(講談社+α文庫)という著書を読んでいた為、

色色なシーンに対しての予備知識があり、より広く、より深く、丸山二等兵を含めた多くの

隊員達の心情を読む事が出来ました。それはイコール、水木大先生が視ている世界の

カタチを僅かばかりでも共有出来た事も意味します。

全く別の作品ではありますが、符合するお話が少なからず登場する為、総員玉砕〜しか

読んでいない状態で今回のドラマを鑑賞したという人は、騙されたと思って生まれた〜も

読んでみて下さい。162頁から始まる "ねずみ男"の金銭感覚 で語られる大先生の

感性(実感)を含め、100年使える人生の糧が満載ですッ !!

最後に、去る8月5日に放送された他局の番組「サンデーモーニング」内の分析コーナー

「風をよむ 21」での“横綱”と“相撲道”というテーマに登場した、ある力士の話を綴ります。

前人未到の69連勝という記録を遺したその大横綱は、70戦目の後にこう言ったという。

「イマダモッケイタリエズ」

モッケイとは木彫りの鶏の事を指す。故事において、闘鶏を育てる名人に鶏を預けた王が

「仕上がりはどうか ?」と訊くと、名人は「まだいけません」「話になりません」などと却下し、

最後に「まるで木鶏のようです。その徳を前にすれば、どんな闘鶏も逃げ出す事でしょう」と

答える話。

2007年現在。テレビ、インターネット、新聞を問わずに見掛ける抑止戦略などの解説が、

如何に「未熟な闘鶏そのもの」なのかを気付かせてくれる、素晴らしい教訓です。

戦争を失くす方法は容易くはないけれど、しない方法を選択するのは遥かに容易な事です。

その心は‥‥木鶏と徳を「あるモノ」にそれぞれ置き換えれば分かる筈。

西岡琢也氏の“ちょっと立ち停まって考える”は、その事も含めていると私には思えます。

しかし。頓死という末路を実感出来ない真性戦後世代のワタシ達が語る「戦争観」と、

そうではない水木サンが絵に置き換えた「戦争感」とでは、実は天と地ほどの差がある事を、

エンディングを前に段段と気付きだす事でしょう。

夫婦でバナナを食べながらのシーンで、「好き嫌い、美味い不味いは言えん。死んだ奴等の

こと考えたらって」と過去の夫の話を代弁しだす妻に、「そんな単純なもんじゃない‥‥。

水木サンの気持ちは もぉっと複雑で、 ごちゃごちゃ、 もやもやしちょる」と返します。

この心情と、ラストの大笑いの心中を、少しだけでも汲めた時。

初めてワタシ達は心なる鎮魂、新なる慰霊、瞋なる反戦、真なる哀歓の決意をもって、

戦中世代を前に 戦争は愚かしいと口を極める 資格を得るのかもしれません。

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